嵯峨の山千代の古道跡とめて
また露分くるもちづきの駒
- 歌の意味
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嵯峨の山の、千代を経た古い道の跡をたどって、また露を分けて進んで行く望月の駒であることよ。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1646
詞書「後白河院栖霞寺におはしましけるに、駒引の引分の使にて参りけるに」
嵯峨の山を詠む一連の二首目である。嵯峨の山の千代の古道の跡をたどり、望月の駒がまた露を分けて行くと詠む。詞書によれば、後白河院が栖霞寺に滞在していた折、駒引の馬を院に届ける使いとして参上した時の歌である。
作者の「定家朝臣」は、藤原俊成の子で、『新古今和歌集』の撰者の一人である。のちに『新勅撰和歌集』を単独で撰んだ。
栖霞寺は嵯峨にあった寺で、源融の山荘を寺としたものである。駒引は、八月に諸国の牧から献上された馬を天皇が御覧になる行事で、信濃国の望月の牧の馬がその代表とされた。引分の使は、献上された馬を分けて院などに届ける使いである。
二句の「千代の古道」は、『後撰和歌集』の在原行平の歌「嵯峨の山みゆき絶えにし芹川の千代の古道跡はありけり」を踏まえる。かつての行幸の道を、今また院のもとへ向かう駒が踏み分けている。
初句「嵯峨の山」は、栖霞寺のある嵯峨の山である。前歌の小倉山に続き、嵯峨の地が詠まれる。
二句「千代の古道」は、千年を経た古い道で、本歌の語をそのまま用いている。本歌で行幸の絶えた道とされたものを、ここでは再び院のもとへ通う道としている。
三句「跡とめて」は、跡をたどって、の意である。
四句「また露分くる」は、また露を分けて進む、の意である。「また」によって、古の行幸に続いて今また道が通うことを示す。
結句「もちづきの駒」の「もちづき」には、信濃国の「望月の牧」と、駒引の頃の満月である「望月」が掛けられている。体言止めで、月夜の露の古道を行く駒の姿を置いて結ぶ。
こまひき:諸国から献上された馬を天皇が御覧になる行事
もちづき:望月の牧と、満月の望月を掛ける
あととむ:跡をたずねる。跡をたどる
- 作者
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藤原定家
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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いつとなきをぐらの山の陰を見て 暮れぬと人の急ぐなるかな
- 次の歌
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佐保川の流れ久しき身なれども うき瀬にあひて沈みぬるかな