真木の板も苔むすばかりなりにけり
幾世経ぬらん瀬田の長橋
- 歌の意味
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檜の板までも苔が生えるほどになってしまった。いったいどれほどの代を経たのだろうか、瀬田の長橋は。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1656
詞書「堀河院御時百首歌奉りけるに」
瀬田の長橋を詠む一首である。橋の檜の板にも苔が生えるほどになったと、瀬田の長橋が経てきた長い歳月を思いやる。詞書によれば、堀河天皇の代に百首歌を奉った折の歌である。
作者の「前中納言匡房」は、大江成衡の子で、学者として知られ、権中納言に至った。
堀河院の御時の百首歌は、堀河天皇の代に、源俊頼や大江匡房らが題を分けて詠進した百首歌で、堀河百首と呼ばれる。
瀬田の長橋は近江国の瀬田川に架かる橋で、現在の滋賀県大津市にある。都から東国へ向かう道の要所であった。
初句「真木の板も」は、檜などの良材の板までも、の意である。六音の字余りである。
二句「苔むすばかり」は、苔が生えるほどに、の意である。
三句「なりにけり」は、なってしまったことだ、の意である。「けり」は気づきの詠嘆で、ここで句が切れる三句切れとなる。
四句「幾世経ぬらん」は、どれほどの代を経たのだろうか、の意である。本巻の第千五百八十八首の結句「年の経ぬらん」と同じく、「経ぬらん」によって長い時の流れを推し量る。
結句「瀬田の長橋」は体言止めで、倒置によって古びたものの正体を結句に置く。本巻の第千五百九十四首からの長柄の橋の一連とも、古びゆく橋を詠む点で響き合う。
まき:檜や杉などの良い木材
こけむす:苔が生える
- 作者
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大江匡房
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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天の川通ふ浮木に言問はん 紅葉の橋は散るや散らずや
- 次の歌
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定めなき名には立てれど飛鳥川 はやく渡りし瀬にこそありけれ