草の庵を厭ひてもまたいかがせん
露の命のかかる限りは
- 歌の意味
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この草の庵を嫌ったとしても、またどうしようもない。露のようにはかない命が、こうして草に掛かって続いている限りは。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1661
詞書は前の歌に続き「題しらず」
山里に住む心を詠む一連の四首目である。草の庵を厭っても、露のような命がこうして続く限りはどうしようもないと詠む。詞書は題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者の「前大僧正慈円」は、関白藤原忠通の子で、九条兼実の弟である。天台座主を四度務め、史論『愚管抄』を著した。
初句「草の庵を」は、草で葺いた粗末な庵を、の意である。六音の字余りである。
二句「厭ひてもまた」は、厭ったとしてもまた、の意である。世を厭って山に入った身が、その庵さえも厭うという重なりを示す。
三句「いかがせん」は、どうしようもない、の意の反語である。ここで句が切れる三句切れとなる。本巻の第千六百五首の三句「いかがせん」と同じ句である。
四句「露の命の」は、露のようにはかない命の、の意である。初句の「草」と「露」が縁語となる。
結句「かかる限りは」の「かかる」には、露が草に「掛かる」の意と、命が「かかる」、このようにある、の意が掛けられている。倒置によって、どうしようもない理由を結句に置く。前の三首が山里の人の訪れを詠んだのに対し、ここでは山里の庵を厭う心を詠む。
くさのいほ:草で屋根を葺いた粗末な住まい
かかる:露が掛かる意と、このようである意を掛ける
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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山里は人来させじと思はねど 訪はるることぞうとくなりゆく
- 次の歌
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わくらばになどかは人の問はざらん 音無川に住む身なりとも