わくらばになどかは人の問はざらん
音無川に住む身なりとも
- 歌の意味
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たまにはどうして人が便りをくれないことがあろうか。たとえ音無川という名の川のほとりに住む身であっても。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1662
詞書「都を出でて久しく修行し侍りけるに、とふき人のへとはず侍りければ、熊野より遣はしける」
熊野に籠る人を詠む一連の一首目である。音無川のほとりに住む身であっても、たまには便りをくれてもよいではないかと詠む。詞書によれば、都を出て長く修行していたが、便りをくれるはずの人が便りをくれなかったので、熊野から贈った歌である。
作者の「大僧正行尊」は、参議源基平の子で、園城寺の僧である。大峰や熊野で修行を重ね、のちに天台座主となった。
音無川は紀伊国の熊野本宮の近くを流れる川である。熊野は熊野三山の地で、修行の場として尊ばれた。
初句「わくらばに」は、たまに、まれに、の意である。
二句「などかは人の」は、どうして人が、の意である。「かは」は反語を表す。
三句「問はざらん」は、便りをくれないことがあろうか、の意である。反語によって、たまには便りがあってよいはずだと訴える。
四句「音無川に」は、熊野の音無川に、の意である。「音無し」という川の名に、便りのない寂しさを重ねている。
結句「住む身なりとも」は、住む身であっても、の意である。「とも」は逆接の仮定を表す。音無川の名のとおり音沙汰なしでよいわけではないと、名に寄せて便りを求める。前の一連の山里の訪れの少なさを受け、遠い修行の地から便りを求める心を詠む。
わくらば:たまに。まれに
とふ:訪ねる。便りをする
しゆぎやう:仏道を修めるために諸国をめぐること
- 作者
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行尊
- 出典
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新古今和歌集
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草の庵を厭ひてもまたいかがせん 露の命のかかる限りは
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世を背く山の南の松風に 苔の衣や夜寒なるらん