- 歌の意味
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今はもう私は、松の柱に杉で葺いた庵に閉じこもるべき身であるのに。苔深い僧衣の袖を着ているのだから。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1665
詞書「百首歌奉りしに山家の心を」
山の住まいと山路を詠む一連の二首目である。苔深い袖を着る身となった今は、松の柱の杉の庵に閉じこもるべきであるのにと詠む。詞書によれば、百首歌を奉った折に、山家を題として詠んだ歌である。
作者の「式子内親王」は、後白河天皇の皇女で、賀茂の斎院を務めた。のちに出家した。藤原俊成に和歌を学んだ。
初句「今は我」は、今はもう私は、の意である。前歌の初句「いつか我」と対になり、出家を望む者と、すでに出家した者との対比をなす。
二句「松の柱の」は、松の木で作った柱の、の意である。
三句「杉の庵に」は、杉の板で葺いた庵に、の意である。六音の字余りである。松と杉を重ねて、山の庵の素朴な造りを描く。
四句「閉づべきものを」は、閉じこもるべきであるのに、の意である。「ものを」は逆接の詠嘆を表す。
結句「苔深き袖」は体言止めで、出家の身であることを苔深い袖によって示す。前歌で家隆が望んだ苔の袂を、ここではすでに身にまとった者として詠んでいる。
こけふかきそで:苔の衣の袖。出家した者の衣
とづ:閉じこもる
- 作者
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式子内親王
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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いつか我苔の袂に露置きて 知らぬ山路の月を見るべき
- 次の歌
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樒摘む山路の露に濡れにけり 暁起きの墨染の袖