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斧の柄の朽ちし昔は遠けれど
ありしにもあらぬ世をも経るかな

歌の意味
斧の柄が朽ちるほどの長い時が過ぎたという昔の話は遠いことだけれども、私はかつてとはまるで違ってしまった世を過ごしていることだ。
鑑賞
巻第十七 雑歌中 1672

詞書「後白河院かくれさせ給ひて後、百首歌に」
 昔を偲ぶ述懐の一連の一首目である。斧の柄が朽ちたという昔の話は遠いが、自分もかつてとはまるで違う世を過ごしていると詠む。詞書によれば、父の後白河院が亡くなった後に詠んだ百首歌の中の歌である。
 作者の「式子内親王」は、後白河天皇の皇女で、賀茂の斎院を務めた。のちに出家した。藤原俊成に和歌を学んだ。
 初句と二句は、中国の『述異記』に見える話を踏まえる。晋の王質が山中で童子たちの碁を見ているうちに、手にした斧の柄が朽ちるほどの時が過ぎ、里に帰ると知る人は誰もいなかったという。

 初句「斧の柄の」は、斧の柄が、の意である。『述異記』の王質の故事を呼び起こす。
 二句「朽ちし昔は」は、朽ちてしまったという昔の話は、の意である。仙境で一瞬のうちに長い時が過ぎたという故事を示す。
 三句「遠けれど」は、遠い昔のことだけれども、の意である。「ど」は逆接を表す。
 四句「ありしにもあらぬ」は、以前とはまるで違う、の意である。八音の字余りである。父院を失って一変した身の上を、故事の中の王質が帰った里の変わりように重ねている。
 結句「世をも経るかな」は、世を過ごしていることだ、の意である。「かな」の詠嘆で結ぶ。故事の遠さと、今の自分の身に起きた変化の近さとを対比させている。

をののえ:斧の柄
ふ:時を過ごす。経る
作者
式子内親王
出典
新古今和歌集
前の歌
山里に訪ひ来る人の言種は この住まゐこそ羨ましけれ
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いかにせん賤が園生の奥の竹 かき籠るともよの中ぞかし