筑紫にも紫生ふる野辺はあれど
なき名悲しぶ人ぞ聞こえぬ
- 歌の意味
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筑紫にも紫草の生える野辺はあるけれども、わたしの無実の汚名を悲しんでくれる人がいるとは聞こえてこない。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1697
詞書「野」
野を題とする一首で、菅原道真の一字題の歌十二首の八首目である。筑紫にも紫草の生える野はあるが、わが無実の汚名を悲しんでくれる人の声は聞こえてこない、と詠む。無実の罪で流されたことへの嘆きが、直接に表れた歌である。
作者の「菅贈太政大臣」は菅原道真である。原文に作者名はなく、前歌から続く。菅原是善の子で、学者、漢詩人として知られ、右大臣に至ったが、醍醐天皇の代に大宰権帥に左遷され、配所で没した。没後に太政大臣を追贈されたため、この呼称で記される。
「紫」は、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」を踏まえるとされる。一本の紫草のゆえに武蔵野の草すべてをいとしく思うという古歌の心を受け、紫の生える野はあっても自分を思いやる人はいない、と嘆いている。
初句「筑紫にも」は、九州の地をいう。作者の流された大宰府のある地であり、「にも」に、都から遠いこの地にも、という心がこもる。
二句「紫生ふる」は、紫草の生える、の意である。「つくし」と「むらさき」の音が響き合っている。
三句「野辺はあれど」の「ど」は逆接の接続助詞である。題の「野」をここで詠み込み、下の句の嘆きへ転じる。
四句「なき名悲しぶ」の「なき名」は、事実無根の評判、すなわち無実の罪をいう。「悲しぶ」は悲しむ、あわれむ、の意である。
結句「人ぞ聞こえぬ」は、係助詞「ぞ」を受けて打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」で結ぶ係り結びである。紫草のゆかりもむなしく、同情してくれる人の声さえ届かない孤独を嘆いている。
つくし:九州。特に筑前、筑後の地
なきな:根拠のない評判。無実の罪
かなしぶ:悲しむ。あわれむ
- 作者
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菅原道真
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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老いぬとて松は緑ぞまさりける わが黒髪の雪の寒さに
- 次の歌
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刈萱の関守にのみ見えつるは 人も許さぬ道辺なりけり