刈萱の関守にのみ見えつるは
人も許さぬ道辺なりけり
- 歌の意味
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刈萱が関守のようにばかり見えたのは、人の通ることも許さない道のほとりだったからなのだ。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1698
詞書「道」
道を題とする一首で、菅原道真の一字題の歌十二首の九首目である。道ばたの刈萱が行く手をさえぎる関守のようにばかり見えたのは、人の通行も許されない道だったからだ、と詠む。配所から出ることを許されない身の上を、道の景物に託している。
作者の「菅贈太政大臣」は菅原道真である。原文に作者名はなく、前歌から続く。菅原是善の子で、学者、漢詩人として知られ、右大臣に至ったが、醍醐天皇の代に大宰権帥に左遷され、配所で没した。没後に太政大臣を追贈されたため、この呼称で記される。
初句「刈萱の」は、イネ科の草である刈萱をいう。秋の野に穂を立てて群れ生える草である。
二句「関守にのみ」は、関所の番人のようにばかり、の意である。道ばたに立ち並ぶ刈萱を、通行を見張る関守に見立てている。
三句「見えつるは」の「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形である。そう見えたのはなぜか、と理由を下の句に求める形をとる。
四句「人も許さぬ」は、人が通ることも許さない、の意である。自由に行き来できない配所の身の上がにじむ。
結句「道辺なりけり」の「けり」は気づきを表す詠嘆の助動詞である。題の「道」を詠み込み、草が関守に見えた理由にいま思い当たったという形で、わが身の不自由を嘆いている。
かるかや:イネ科の多年草。秋に穂を出す
せきもり:関所の番人
- 作者
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菅原道真
- 出典
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新古今和歌集
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筑紫にも紫生ふる野辺はあれど なき名悲しぶ人ぞ聞こえぬ
- 次の歌
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海ならずたたへる水の底までに 清き心は月ぞ照らさむ