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浅からぬ心ぞ見ゆる音羽川
堰き入れし水の流れならねど

歌の意味
浅くはないお心が見えることだ。音羽川の、堰き入れた水の流れではないけれども。
鑑賞
巻第十八 雑歌下 1728

詞書「権中納言通俊後拾遺撰び侍りける頃、まづ片端もゆかしくなど申して侍りければ、申し合はせてこそとて、まだ清書きもせぬ本をつかはして侍りけるを見て、返しつかはすとて」
 滝と水の流れを詠む歌の二首目で、撰集にかかわる歌でもある。堰き入れた音羽川の水の流れではないが、浅くはないお心が見える、と詠む。詞書によれば、藤原通俊が『後拾遺和歌集』を撰んでいた頃、少しでも見たいと申し出たところ、相談したうえでと言ってまだ清書もしていない本を送ってきたので、それを見て返す際に添えた歌である。
 作者の「周防内侍」は、平棟仲の娘である。後冷泉天皇から堀河天皇まで四代の天皇に仕えた女房で、父が周防守であったことからこの名で呼ばれる。
 藤原通俊は、白河天皇の命により『後拾遺和歌集』を撰んだ撰者である。

 初句「浅からぬ」は、浅くはない、深い、の意である。水の深浅の縁で、心の深さをいう。
 二句「心ぞ見ゆる」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「見ゆる」で結ぶ係り結びである。清書前の本を見せてくれた通俊の厚意の深さをいい、ここで句切れとなる。
 三句「音羽川」は、山城国の川で、歌枕である。水の流れを示す名として置かれている。
 四句「堰き入れし水の」は、せき止めて引き入れた水、の意である。前歌の、庭に堰き入れた滝の水と同じ趣向を受けている。
 結句「流れならねど」の「ど」は逆接の接続助詞である。庭に引いた水ではないが、という形で、流れの深さに通俊の心の深さを重ね、倒置によって余韻を残している。

きよがき:下書きを清書すること
かたはし:一部分。ほんの一端
作者
周防内侍
出典
新古今和歌集
前の歌
滝つ瀬に人の心を見ることは 昔に今も変はらざりけり
次の歌
言の葉の中をなくなく尋ぬれば 昔の人に逢ひ見つるかな