うれしさは忘れやはする忍ぶ草
しのぶるものを秋の夕暮
- 歌の意味
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このうれしさを忘れたりするだろうか。忍ぶ草の名のように、しみじみと思い出しているのに、この秋の夕暮に。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1732
詞書「秋頃わづらひけるおこたりて、たびたびとぶらひにける人につかはしける」
忍ぶ草を詠む贈答の一首目である。病の間たびたび見舞ってくれたうれしさは忘れはしない、忍ぶ草の名のように、秋の夕暮にしみじみと思い出している、と詠む。詞書によれば、秋頃に病んでいたのが治って、何度も見舞ってくれた人に贈った歌で、次歌の返しから、その相手は源経信である。
作者の「伊勢大輔」は、大中臣輔親の娘で、大中臣能宣の孫にあたる。上東門院彰子に仕えた女房である。
初句「うれしさは」は、見舞いを受けたうれしさをいう。係助詞「は」で取り立て、以下の反語を導く。
二句「忘れやはする」の「やは」は反語の係助詞で、連体形「する」で結ぶ係り結びである。忘れなどしようか、忘れはしない、の意となり、ここで句切れとなる。
三句「忍ぶ草」は、軒端などに生えるシダの一種である。その名から同音の「しのぶる」を導き、次の三首にも忍ぶ草が詠まれる。
四句「しのぶるものを」は、偲んでいるのに、の意である。「ものを」は逆接的な詠嘆を表し、相手を思い慕う心を強める。
結句「秋の夕暮」は、もの思いのまさる時として置かれ、体言止めで一首を結ぶ。病を得た秋の季節とも重なっている。
しのぶぐさ:シダの一種。軒端や岩に生える
おこたる:病気が治る
とぶらふ:見舞う。訪ねる
- 作者
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伊勢大輔
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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草分けて立ち居る袖のうれしさに 絶えず涙の露ぞこぼるる
- 次の歌
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秋風の音せざりせば白露の 軒の忍ぶにかからましやは