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忍ぶ草いかなる露か置きつらむ
今朝はねもみなあらはれにけり

歌の意味
忍ぶ草にどのような露が置いたのだろうか。今朝は根もすっかりあらわになってしまった。人目を忍んだ共寝も、すっかり知られてしまったことだ。
鑑賞
巻第十八 雑歌下 1734

詞書「ある所に通ひ侍りけるを、朝光大将見かはして、夜ひと夜物語して帰りて、又の日」
 忍ぶ草を詠む贈答の三首目である。忍ぶ草にどんな露が置いたのか、今朝は根まですっかりあらわになった、と詠む。詞書によれば、ひそかに通っていた所で藤原朝光と鉢合わせし、一晩中語り明かして帰った翌日に贈った歌である。忍んで通っていたことが知れてしまった照れを、忍ぶ草の根があらわになることにたとえている。
 作者の「右大将済時」は藤原済時である。藤原師尹の子で、大納言に至り、大将を兼ねた。娘の娍子は三条天皇の皇后となった。

 初句「忍ぶ草」は前の二首を受ける。「忍ぶ」の名に、人目を忍んで通う意が重ねられている。
 二句「いかなる露か」の「か」は疑問の係助詞である。露は、思いがけず出会った相手のたとえとなる。
 三句「置きつらむ」は、係助詞「か」を受けて現在推量の助動詞「らむ」の連体形で結ぶ係り結びである。露が置いたのだろうか、と推し量り、ここで句切れとなる。
 四句「今朝はねもみな」の「ね」は、忍ぶ草の根の意と、寝すなわち共寝の意とを掛ける掛詞である。
 結句「あらはれにけり」の「けり」は気づきを表す詠嘆の助動詞である。根があらわになるように、忍んでいたことがすっかり知られてしまったと、戯れを込めて嘆いている。

ね:草の根の意と、寝(共寝)の意を掛ける
みかはす:互いに顔を合わせる
作者
藤原済時
出典
新古今和歌集
前の歌
秋風の音せざりせば白露の 軒の忍ぶにかからましやは
次の歌
浅茅生を尋ねざりせば忍ぶ草 思ひ置きけむ露を見ましや