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浅茅生を尋ねざりせば忍ぶ草
思ひ置きけむ露を見ましや

歌の意味
浅茅の生えたあの宿を訪ねなかったならば、忍ぶ草に思いを込めて置いたであろう露を、見ることがあっただろうか。
鑑賞
巻第十八 雑歌下 1735

詞書「返し」
 忍ぶ草を詠む贈答の四首目で、前歌への返歌である。浅茅の茂るあの宿を訪ねなかったならば、忍ぶ草に思いを込めて置いた露を見ることもなかっただろう、と詠む。自分もその宿を訪ねたからこそ相手の忍ぶ思いを知ったのだと、前歌の戯れに戯れで応じている。
 作者の「左大将朝光」は藤原朝光である。藤原兼通の子で、大納言に至り、左大将を兼ねた。

 初句「浅茅生を」は、丈の低い茅の生えた荒れた所をいい、二人が出会った宿を指す。
 二句「尋ねざりせば」は、訪ねなかったならば、の意である。「せば」は結句の「まし」と呼応して反実仮想を表す。前歌の経信の返し「音せざりせば」と同じ形をとっている。
 三句「忍ぶ草」は、前歌の初句を受ける。前の三首から続く忍ぶ草の歌の結びとなる。
 四句「思ひ置きけむ」は、思いを込めて置いたであろう、の意である。「置き」は露の縁語で、「けむ」は過去推量の助動詞である。
 結句「露を見ましや」の「や」は反語の係助詞である。見ることがあっただろうか、ありはしない、の意で、前歌の「いかなる露か」という問いに、自分こそがその露を見た者だと答えている。

あさぢふ:丈の低い茅が生えている所。荒れた住まいのたとえ
おもひおく:思いを残す。心に深く思う
作者
藤原朝光
出典
新古今和歌集
前の歌
忍ぶ草いかなる露か置きつらむ 今朝はねもみなあらはれにけり
次の歌
長らへむとしも思はぬ露の身の さすがに消えむことをこそ思へ