露の身の消えば我こそ先立ため
後れむものか森の下草
- 歌の意味
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露のような身が消えるというのなら、わたしこそ先に逝くだろう。後に残されたりするものか、森の下草のように老いたこの身が。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1737
詞書「返し」
露の身を詠む贈答の二首目で、前歌への返歌である。露の身が消えるというなら、老いた自分こそ先に逝くだろう、森の下草のようなこの身が後に残されるものか、と詠む。自分の老いを引き合いに出して、病む相手を励ます歌である。
作者の「小馬命婦」は、平安中期の女房である。命婦は、宮中に仕える女官の呼称である。
「森の下草」は、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌「大荒木の森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし」以来、老いた身のたとえとして詠まれる。
初句「露の身の」は、前歌の三句をそのまま受けている。相手の言葉を取り上げて答える、贈答の形である。
二句「消えば我こそ」は、消えるというなら、わたしこそ、の意である。「消えば」は未然形に「ば」が付いた仮定条件である。
三句「先立ため」は、係助詞「こそ」を受けて推量の助動詞「む」の已然形「め」で結ぶ係り結びである。先に死ぬのは自分の方だと言い、ここで句切れとなる。
四句「後れむものか」の「ものか」は反語で、後に残されるものか、残されはしない、の意である。
結句「森の下草」は、老いた自分をたとえる。体言止めで、年老いた身を引き合いにして、若い相手はまだ死ぬはずがないと励ましている。
さきだつ:先に死ぬ
おくる:後に残される。先立たれる
- 作者
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小馬命婦
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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長らへむとしも思はぬ露の身の さすがに消えむことをこそ思へ
- 次の歌
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命さへあらば見つべき身の果てを 偲ばむ人のなきぞ悲しき