命さへあらば見つべき身の果てを
偲ばむ人のなきぞ悲しき
- 歌の意味
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命さえあれば見届けることになるであろうわが身の最期を、偲んでくれる人がいないのが悲しい。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1738
詞書「題しらず」
死と命のはかなさを詠む歌である。命さえあれば見届けることになるわが身の最期を、偲んでくれる人がいないことが悲しい、と詠む。死後に自分を思い出してくれる人のいない孤独を嘆いている。詞書は題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者の「和泉式部」は、大江雅致の娘である。和泉守橘道貞の妻となったことからこの名で呼ばれる。為尊親王、敦道親王との恋で知られ、のちに上東門院彰子に仕えた。
初句「命さへ」の「さへ」は、せめてそれだけでも、の意の副助詞である。生きてさえいれば、という仮定を強める。
二句「あらば見つべき」は、生きていれば必ず見ることになるであろう、の意である。「つべし」は確実な推量を表す。
三句「身の果てを」は、わが身の最期、落ちぶれた末路をいう。
四句「偲ばむ人の」は、偲んでくれる人の、の意である。前の忍ぶ草の歌々に続き、「しのぶ」の語がここにも置かれている。
結句「なきぞ悲しき」は、係助詞「ぞ」を受けて形容詞の連体形「悲しき」で結ぶ係り結びである。前歌では老いた者が先立とうと励ましたが、本歌では思い出してくれる人のいない最期の孤独が嘆かれる。
みのはて:わが身の最期。落ちぶれた末路
しのぶ:懐かしく思い慕う
- 作者
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和泉式部
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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露の身の消えば我こそ先立ため 後れむものか森の下草
- 次の歌
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定めなき昔語りを数ふれば 我が身も数に入りぬべきかな