世の中の晴れゆく空に降る霜の
憂き身ばかりぞ置き所なき
- 歌の意味
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世の中が晴れてゆく空に降る霜のように、つらいわが身ばかりが置き所もない。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1740
詞書「五十首歌たてまつりし時」
身の置き所なさを詠む歌である。晴れてゆく空に降る霜が置く所のないように、世の中は晴れやかになってゆくのに、つらいわが身だけは置き所がない、と詠む。明るくなる世にひとり取り残される身の嘆きを、霜に託している。詞書によれば、五十首歌を奉った折の歌である。
作者の「前大僧正慈円」は、藤原忠通の子で、九条兼実の弟にあたる。天台座主を四度務め、史論書『愚管抄』を著した。
初句「世の中の」は、世の中が、の意である。二句の「晴れゆく」の主語となり、空の景と世の様子とを重ねている。
二句「晴れゆく空に」は、晴れわたってゆく空に、の意である。世の中が明るくなってゆくことを、空の晴れるさまにたとえている。
三句「降る霜の」は、ここまでが序詞の働きをし、霜の「置く」から「置き所なき」を導く。晴れた空から降る霜は、行き場のないものとして置かれている。
四句「憂き身ばかりぞ」は、つらいわが身だけが、の意である。「ばかり」が、世の中とは違って自分だけが、と限定する。
結句「置き所なき」は、係助詞「ぞ」を受けて形容詞の連体形「なき」で結ぶ係り結びである。「置き」は霜の縁語で、身を置く場所のない孤独を示している。
おきどころ:身を置く場所。落ち着く所
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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定めなき昔語りを数ふれば 我が身も数に入りぬべきかな
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頼みこし我が古寺の苔の下に いつしか朽ちむ名こそ惜しけれ