年月をいかで我が身に送りけむ
昨日の人も今日はなき世に
- 歌の意味
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長い年月を、どうしてわが身は送ってきたのだろうか。昨日いた人も今日はいないこの世で。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1750
詞書は前の歌に続き「題しらず」
世を背くことを詠む歌の四首目で、西行の歌四首の三首目である。昨日いた人も今日はいない無常の世に、どうしてわが身は長い年月を送ってこられたのか、と詠む。無常の世に生きながらえてきたことへの驚きと感慨を述べている。
作者の「西行法師」は、俗名を佐藤義清といい、鳥羽院に北面の武士として仕えたが、若くして出家した。諸国を旅して歌を詠み、家集に『山家集』がある。原文に作者名はなく、前歌から続く。
初句「年月を」は、これまでの長い年月をいう。
二句「いかで我が身に」は、どのようにしてわが身は、の意である。「いかで」は疑問を表す。
三句「送りけむ」は、過ごしてきたのだろうか、の意である。「けむ」は過去推量の助動詞で、「いかで」を受けて連体形で結び、ここで句切れとなる。
四句「昨日の人も」は、昨日まで生きていた人も、の意である。「昨日」と結句の「今日」とが対をなす。
結句「今日はなき世に」は、今日はもういない世の中で、の意である。倒置によって無常の世のありさまを後から示し、長い年月と一日の違いとを対比させている。
おくる:時を過ごす
- 作者
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西行
- 出典
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新古今和歌集
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愚かなる心の引くにまかせても さてさはいかに終の思ひは
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受けがたき人の姿に浮かび出でて 懲りずや誰もまた沈むべき