背きてもなほ憂きものは世なりけり
身を離れたる心ならねば
- 歌の意味
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世を捨ててもなおつらいものは世の中であることだ。身から離れた心ではないのだから。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1752
詞書「守覚法親王五十首歌よませ侍りけるに」
世を背くことを詠む歌の六首目である。世を捨ててもなおつらいのは世の中だ、心は身から離れたものではないのだから、と詠む。出家しても身がある限り心もそこにあり、世のつらさから逃れられないことを嘆いている。詞書によれば、守覚法親王が歌人たちに詠ませた五十首歌の中の歌である。
作者の「寂蓮法師」は、俗名を藤原定長といい、藤原俊成の甥で、その養子となった。出家後も歌人として活躍し、『新古今和歌集』の撰者に任じられたが、完成を見ずに没した。
守覚法親王は後白河天皇の皇子で、仁和寺の門跡となった。
初句「背きても」は、世を捨てても、の意である。「ても」は逆接仮定を表す。
二句「なほ憂きものは」は、それでもやはりつらいものは、の意である。
三句「世なりけり」の「けり」は、気づきを表す詠嘆の助動詞である。世を捨てても世のつらさは残ると思い知り、ここで句切れとなる。
四句「身を離れたる」は、身から離れている、の意である。西行の歌で身を離れてさまよい出た心を詠んだのに対し、本歌は心が身から離れられないことを詠む。
結句「心ならねば」は、心ではないので、の意である。倒置によって理由を後から示し、身と心とが一つである限り世の憂さから逃れられないと結んでいる。
うし:つらい。いやだ
- 作者
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寂蓮
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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受けがたき人の姿に浮かび出でて 懲りずや誰もまた沈むべき
- 次の歌
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身の憂さを思ひ知らずはいかがせむ 厭ひながらもなほ過ぐすかな