いたづらに過ぎにしことや嘆かれむ
受けがたき身の夕暮の空
- 歌の意味
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むなしく過ぎてしまったことが嘆かれるのだろうか。受けることの難しい人の身として眺める、夕暮の空よ。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1755
詞書は前の歌に続き「述懐の心をよめる」
世を背くことを詠む歌の九首目で、慈円の歌三首の二首目である。受けがたい人の身でありながら、むなしく時を過ごしてきたことが嘆かれる、夕暮の空を眺めて、と詠む。人と生まれた機会を生かせずにきた悔いを、夕暮の空に託している。
作者の「前大僧正慈円」は、藤原忠通の子で、九条兼実の弟にあたる。天台座主を四度務め、史論書『愚管抄』を著した。原文に作者名はなく、前歌から続く。
初句「いたづらに」は、むなしく、無駄に、の意である。
二句「過ぎにしことや」の「や」は疑問の係助詞である。これまで過ごしてきた日々をいう。
三句「嘆かれむ」は、係助詞「や」を受けて推量の助動詞「む」の連体形で結ぶ係り結びである。「れ」は自発の助動詞で、おのずと嘆かれることをいい、ここで句切れとなる。
四句「受けがたき身の」は、受けることの難しい人の身、の意である。本巻の第千七百五十一首の西行の歌と同じ「受けがたき」の語を用い、仏教の教えを踏まえている。
結句「夕暮の空」は、一日の終わりの空で、人生の暮れ方をも思わせる。体言止めで、悔いを抱いて空を眺める姿を余韻として残している。
いたづらなり:むなしい。役に立たない
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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何事を思ふ人ぞと人問はば 答へぬ先に袖ぞ濡るべき
- 次の歌
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うち絶えて世に経る身にはあらねども あらぬ筋にも罪ぞ悲しき