書き流す言の葉をだに沈むなよ
身こそかくても山川の水
- 歌の意味
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書き流したこの歌の言葉だけでも、沈ませないでほしい。わが身こそ、このように山川の水のように沈んでいても。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1777
詞書「よみて侍りける百首歌を源家長がもとに見せにつかはしける奥に書きつけて侍りける」
川の流れに寄せて身を嘆く歌の三首目である。書き流した歌の言葉だけでも沈ませないでほしい、わが身はこのように沈んでいても、と詠む。詞書によれば、自作の百首歌を源家長のもとへ見せに送った際、その奥に書き付けた歌で、不遇の身ながら、せめて歌だけは世に埋もれさせないでほしいと願っている。
作者の「藤原行能」は、藤原伊経の子である。能書の家に生まれ、書に優れた。
源家長は、後鳥羽院の和歌所で事務をつかさどった人物で、その日記『源家長日記』が伝わる。
初句「書き流す」は、筆にまかせて書いた、の意である。「流す」は結句の「山川の水」の縁語となる。
二句「言の葉をだに」は、せめて歌の言葉だけでも、の意である。「だに」が、身はともかく、という心を示す。
三句「沈むなよ」は、沈ませないでくれ、の意である。水の縁で、世に埋もれることをいい、ここで句切れとなる。
四句「身こそかくても」は、わが身こそこのようであっても、の意である。沈淪する不遇の身をいう。
結句「山川の水」は、山あいを流れる川の水である。体言止めで、流れに沈むわが身をたとえ、前の二首に続いて川の流れに寄せた嘆きを結んでいる。
かきながす:筆にまかせて書く
しづむ:水に沈む。世に埋もれて不遇である
- 作者
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藤原行能
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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老いらくの月日はいとどはやせ川 返らぬ波に濡るる袖かな
- 次の歌
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見ればまづいとど涙ぞもろかづら いかに契りてかけ離れけむ