いかにして今まで世にはありあけの
つきせぬものを厭ふ心は
- 歌の意味
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どうして今までこの世に在りつづけてきたのだろう、有明の月のように。世を厭う心は、尽きることがないのに。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1783
詞書は前の歌に続き「五十首歌の中に」
月に寄せて心を詠む歌の三首目で、慈円の歌三首の二首目である。世を厭う心は尽きることがないのに、どうして有明の月のように今までこの世に在りつづけてきたのか、と詠む。世を厭いながら生き長らえている自らを、夜が明けても空に残る有明の月に重ねている。
作者の「前大僧正慈円」は、藤原忠通の子で、九条兼実の弟にあたる。天台座主を四度務め、史論書『愚管抄』を著した。原文に作者名はなく、前歌から続く。
初句「いかにして」は、どのようにして、どうして、の意である。
二句「今まで世には」は、今までこの世には、の意である。
三句「ありあけの」の「あり」は、世に在る意と、有明の月の意とを掛ける掛詞である。夜が明けても空に残る月に、世に残る身を重ねている。
四句「つきせぬものを」の「つき」は、尽きる意と、有明の「月」とを掛ける掛詞である。「ものを」は逆接的な詠嘆を表す。
結句「厭ふ心は」は、世を厭う心は、の意である。倒置によって、尽きないものが世を厭う心であることを最後に示している。前歌の澄んだ月に続き、有明の月が詠まれる。
ありあけ:夜が明けても空に月が残っていること。「あり」に世に在る意を掛ける
つきす:尽きる。「つき」に月を掛ける
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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思ふことなど問ふ人のなかるらむ 仰げば空に月ぞさやけき
- 次の歌
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憂き世出でしつきひの影のめぐり来て 変はらぬ道をまた照らすらむ