何とかや壁に生ふなる草の名よ
それにもたぐふ我が身なりけり
- 歌の意味
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何といったか、壁に生えるという草の名よ。その名にも似通うわが身であることだ。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1789
詞書は前の歌に続き「題しらず」
無常を詠む歌の三首目である。何といったか、壁に生えるという草の名に似通うわが身だ、と詠む。壁に生える草は「いつまで草」と呼ばれ、その名を直接言わずに、いつまで生きられるかわからない身のはかなさを示している。
作者の「皇嘉門院」は藤原聖子である。藤原忠通の娘で、崇徳天皇の中宮となり、のちに女院となった。
初句「何とかや」は、何といったか、の意である。草の名をわざと思い出せないふりをして、読む者に名を思い起こさせる。
二句「壁に生ふなる」は、壁に生えるという、の意である。「なる」は伝聞の助動詞「なり」の連体形である。壁に生える草は、いつまで草と呼ばれる蔦の類である。
三句「草の名よ」は、その草の名よ、と呼びかける形で、ここで句切れとなる。
四句「それにもたぐふ」は、その名にも似通う、の意である。「いつまで」という名に、自らの命の頼りなさを重ねている。
結句「我が身なりけり」の「けり」は、気づきを表す詠嘆の助動詞である。名を伏せたまま、いつまで生きられるか知れない身を嘆いている。前歌の露に続き、はかないものに身をなぞらえている。
いつまでぐさ:壁や木に生える蔦の類の草の呼び名
たぐふ:似通う。並ぶ
- 作者
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藤原聖子
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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道芝の露にあらそふ我が身かな いづれかまづは消えむとすらむ
- 次の歌
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来し方をさながら夢になしつれば 覚むるうつつのなきぞ悲しき