千年経る松だに朽つる世の中に
今日とも知らで立てる我かな
- 歌の意味
-
千年を経る松でさえ朽ちてしまう世の中に、今日が最期とも知らずに立っているわたしであることよ。
- 鑑賞
-
巻第十八 雑歌下 1791
詞書「松の木の焼けけるを見て」
無常を詠む歌の五首目で、ここから松を詠む歌が続く。千年を経るという松でさえ朽ちる世の中に、今日が最期とも知らずに立っている自分だ、と詠む。詞書によれば、松の木が焼けたのを見て詠んだ歌で、長寿の象徴である松の焼失に、わが身の命のはかなさを思っている。
作者の「性空上人」は、平安中期の天台宗の僧である。播磨国の書写山に円教寺を開いた。
初句「千年経る」は、千年もの年を経る、の意である。松は千年の齢を保つ長寿の木とされた。
二句「松だに朽つる」の「だに」は、…でさえ、の意の副助詞である。長寿の松でさえ朽ちることを示し、人の命はなおさらだという心を導く。
三句「世の中に」は、そのような無常の世の中に、の意である。
四句「今日とも知らで」は、今日が最期とも知らずに、の意である。「で」は打消の接続助詞である。
結句「立てる我かな」の「る」は存続の助動詞「り」の連体形、「かな」は詠嘆の終助詞である。焼けた松と同じく立っている身として自らをとらえ、無常を嘆いている。次歌からも松を詠む歌が続く。
くつ:腐ってだめになる。朽ち果てる
- 作者
-
性空
- 出典
-
新古今和歌集
- 前の歌
-
来し方をさながら夢になしつれば 覚むるうつつのなきぞ悲しき
- 次の歌
-
数ならで世にすみの江の澪標 いつをまつともなき身なりけり