いつか我み山の里の寂しきに
あるじとなりて人に問はれむ
- 歌の意味
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いつになったらわたしは、奥深い山里の寂しい住まいに、主となって人に訪ねられるのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1835
詞書「百首歌たてまつりしに」
世を離れて生きる身を詠む歌の三首目である。いつになったら自分は奥深い山里の寂しい住まいの主となって、人に訪ねられるのだろうか、と詠む。公の務めに追われる身から、山里に隠れ住む日を願う心を述べている。詞書によれば、百首歌を奉った折の歌である。
作者の「前大僧正慈円」は、藤原忠通の子で、九条兼実の弟にあたる。天台座主を四度務め、史論書『愚管抄』を著した。
初句「いつか我」は、いつになったら自分は、の意である。願望をこめた問いの形をとる。
二句「み山の里の」は、奥深い山里の、の意である。「み」は美称の接頭語である。
三句「寂しきに」は、寂しい住まいに、の意である。
四句「あるじとなりて」は、主となって、の意である。本巻の第千七百五十七首で山里の庵が荒れていないかと案じた慈円の心と通う。
結句「人に問はれむ」は、人に訪ねられるのだろうか、の意である。訪ねる側ではなく訪ねられる側の山住みの主となる日を願い、隠棲への憧れを示している。
みやま:奥深い山
あるじ:主人
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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数ならぬ身を何ゆゑに恨みけむ とてもかくても過ごしける世を
- 次の歌
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憂き身には山田のおしねおしこめて 世をひたすらに恨みわびぬる