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末の世もこの情けのみ変はらずと
見し夢なくはよそに聞かまし

歌の意味
末の世になっても、この歌の道の情趣だけは変わらないと告げる夢を見なかったならば、百首歌の勧めも、よそごととして聞き流していただろう。
鑑賞
巻第十八 雑歌下 1844

詞書「寂蓮、人々勧めて百首歌よませ侍りけるに、いなび侍りて熊野にまうでける道にて、夢に、何事も衰へゆけど、この道こそ世の末に変はらぬものはあれ、なほこの歌よむべきよし、別当湛快、三位俊成に申すと見侍りて、驚きながらこの歌を急ぎよみ出だしてつかはしける奥に書き付け侍りける」
 昔と今とを思う歌の三首目である。末の世にも歌の道の情趣だけは変わらないと告げる夢を見なかったら、百首歌の勧めもよそごととして聞き流していただろう、と詠む。詞書によれば、寂蓮が人々に勧めて百首歌を詠ませた際、断って熊野に詣でる道中で、何事も衰えてゆくが歌の道だけは末の世にも変わらないから、やはりこの歌を詠むべきだと、熊野の別当湛快が藤原俊成に語る夢を見て、急いで詠んで送った百首の奥に書き付けた歌である。
 作者の「西行法師」は、俗名を佐藤義清といい、鳥羽院に北面の武士として仕えたが、若くして出家した。諸国を旅して歌を詠み、家集に『山家集』がある。
 湛快は熊野三山を統べる熊野別当を務めた僧である。

 初句「末の世も」は、末の世になっても、の意である。仏法の衰えた末法の世を思わせる。
 二句「この情けのみ」は、この歌の道の情趣だけは、の意である。前々歌の「情け」を受け、ここでは歌の道の情けをいう。
 三句「変はらずと」は、変わらないと、の意である。夢に聞いた言葉を受けている。
 四句「見し夢なくは」は、見た夢がなかったならば、の意である。「なくは」は仮定を表し、結句の「まし」と呼応する。
 結句「よそに聞かまし」の「まし」は反実仮想の助動詞である。夢のお告げに促されて歌の道に立ち返ったことを述べ、世が衰えても変わらない歌の道への信頼を示している。

いなぶ:断る。辞退する
べつたう:熊野三山などを統べる長官
作者
西行
出典
新古今和歌集
前の歌
長らへばまたこの頃や忍ばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
次の歌
行く末は我をも偲ぶ人やあらむ 昔を思ふ心ならひに