- 歌の意味
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後の世には、わたしのことも偲んでくれる人がいるだろうか。わたしが昔の人を思うのと同じ心の習いで。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1845
詞書「千載集撰び侍りける時、古き人々の歌を見て」
昔と今とを思う歌の四首目である。後の世には、自分が昔の人を偲ぶのと同じ心の習いで、自分のことも偲んでくれる人がいるだろうか、と詠む。詞書によれば、『千載和歌集』を撰んでいた時、古い人々の歌を見て詠んだ歌である。撰者として古人の歌に心を寄せながら、自らもいつか偲ばれる側になることを思っている。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。藤原俊忠の子で、『千載和歌集』を撰んだ。藤原定家の父である。
初句「行く末は」は、将来は、後の世には、の意である。前歌の「末の世」を受けている。
二句「我をも偲ぶ」は、わたしのことも偲ぶ、の意である。「も」に、古人と同じように、という心がこもる。
三句「人やあらむ」は、人がいるだろうか、の意である。「や」は疑問の係助詞で、推量の助動詞「む」の連体形で結ぶ係り結びとなる。六音の字余りで、ここで句切れとなる。
四句「昔を思ふ」は、昔の人を思う、の意である。撰集のために古人の歌を読む自身の心をいう。
結句「心ならひに」は、心の習いのままに、の意である。倒置によって、偲ぶ心が時を越えて受け継がれることを示し、昔と今とを思う歌を結んでいる。
こころならひ:心の習慣。いつもの心の癖
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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末の世もこの情けのみ変はらずと 見し夢なくはよそに聞かまし
- 次の歌
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世の中を思ひつらねてながむれば むなしき空に消ゆる白雲