世の中はとてもかくても同じこと
宮も藁屋も果てしなければ
- 歌の意味
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世の中はどのように暮らしても同じことだ。宮殿も粗末な藁屋も、いつまでも住み通せるものではないのだから。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1851
詞書は前の歌に続き「題しらず」
無常を詠む歌の六首目で、蝉丸の歌二首の二首目、巻第十八の巻末歌である。世の中はどのように暮らしても同じことだ、宮殿も藁屋も、いつまでも住み通せるものではないのだから、と詠む。貴賤の別なく、すべては無常であるという達観で、雑歌下の巻を結んでいる。
作者の「蝉丸」は、伝承上の歌人で、生没年や出自は確かでない。逢坂の関のほとりに住んだと伝えられる。原文に作者名はなく、前歌から続く。
初句「世の中は」は、この世は、の意である。前歌の結句「世の中」を受けている。また一首全体として、巻頭の第千六百九十首で菅原道真が「都へいざといふ人ぞなき」と都を恋うたのに対し、巻末の本歌は宮殿も藁屋も同じことだと言い切り、巻の初めと終わりとが呼応している。
二句「とてもかくても」は、ああであってもこうであっても、どのように暮らしても、の意である。本巻の第千八百三十四首の行尊の歌と同じ語である。
三句「同じこと」は、同じことだ、の意である。本巻の第千八百十七首で、遍昭が蜘蛛の巣と人の家とを「同じこと」と詠んだのと響き合い、ここで句切れとなる。
四句「宮も藁屋も」は、宮殿も藁ぶきの粗末な家も、の意である。貴賤の両極を並べている。
結句「果てしなければ」は、いつまでも住み通せるものではないのだから、の意である。倒置によって理由を後から示し、身分の上下を越えた無常の理で巻を結んでいる。
わらや:藁ぶきの粗末な家
はつ:終わりまでし遂げる
- 作者
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蝉丸
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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秋風になびく浅茅の末ごとに 置く白露のあはれ世の中
- 次の歌
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知るらめや今日の子の日の姫小松 生ひん末まで栄ゆべしとは