情けなく折る人つらし我が宿の
あるじ忘れぬ梅の立ち枝を
- 歌の意味
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情けもなく折る人がうらめしい。わが家の主人を忘れずに咲く梅の、高く伸びた枝を。
- 鑑賞
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巻第十九 神祇歌 1853
詞書「この歌は建久二年の春の頃、筑紫へまかれりける者の、安楽寺の梅を折りて侍りける夜の夢に見えけるとなん」
神詠を収める一連の二首目である。主を忘れずに咲く梅の高い枝を、情けもなく折る人がうらめしいと嘆く歌である。左注によれば、建久二年(1191)の春、筑紫に下った者が安楽寺の梅を折った夜、その夢に現れた歌という。梅を折られた痛みを神自身が訴える形で、神の宿る木を損なうことを戒めている。
この歌には詞書がなく、歌の後に左注が付く。本テキストではこの左注が次歌の番号の下に置かれているが、内容から本歌の左注にあたるため、ここでは本歌の詞書として引く。
作者名は原文に記されていない。安楽寺は筑前国の大宰府に菅原道真の墓所として建てられた寺で、今の太宰府天満宮にあたる。このため、道真を神として祀る天満天神の詠とされる。
「あるじ忘れぬ梅」は、『拾遺和歌集』に載る道真の「東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」を思わせる。主がいなくても春を忘れるなと呼びかけられた梅が、ここでは主を忘れずに咲く梅として詠まれている。
初句「情けなく」は、思いやりもなく、の意である。
二句「折る人つらし」は、折る人が恨めしい、の意で、ここで切れる二句切れである。三句から結句は、何を折るのかを後から示す倒置の形になっている。
三句「我が宿の」の「宿」は家、住まいの意である。梅が咲く安楽寺を、神が自らの住まいとして語っている。
四句「あるじ忘れぬ」は、主人を忘れない、の意である。「あるじ」は道真を指すと読める。前歌が小松の未来を言祝いだのに対し、本歌は主を忘れぬ梅を詠み、松と梅の歌が並ぶ。
結句「梅の立ち枝を」は、高く伸びた梅の枝を、の意である。二句の「折る」の目的語が最後に置かれ、折られた枝そのものを印象づけて結ぶ。
たちえ:高く伸びた木の枝
やど:家、住まい
つくし:九州地方の古称
- 作者
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天満天神(左注による)
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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知るらめや今日の子の日の姫小松 生ひん末まで栄ゆべしとは
- 次の歌
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補陀落の南の岸に堂建てて 今ぞ栄えん北の藤波