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人知れず今や今やとちはやぶる
神さぶるまで君をこそ待て

歌の意味
人知れず今か今かと、神々しく古びてしまうほど長い間、あなたをこそ待っていたのに。
鑑賞
巻第十九 神祇歌 1858

詞書「この歌は待賢門院の堀河、大和の方より熊野へ詣で侍りけるに、春日へ参るべき由の夢を見たりけれど、後に参らんと思ひてまかり過ぎにけるを、帰り侍りけるに託宣し給ひけるとなん」
 神詠を収める一連の七首目である。人知れず今か今かと、神さびるほどの長い時をかけて、あなたの訪れを待っていたと告げる歌である。左注によれば、待賢門院堀河が大和の方から熊野へ詣でる途中、春日に参るようにとの夢を見たが、後で参ろうと思って通り過ぎたところ、帰り道で神が託宣したという。参詣を先延ばしにした人を、神がひたすら待ち続けていたことを示している。
 この歌には詞書がなく、歌の後に左注が付く。本テキストではこの左注が次歌の番号の下に置かれているが、内容から本歌の左注にあたるため、ここでは本歌の詞書として引く。
 作者名は原文に記されていない。左注から春日の神の詠とされる。待賢門院堀河は平安時代後期の女流歌人で、神祇伯源顕仲の娘であり、鳥羽天皇の中宮の待賢門院藤原璋子に仕えた。

 初句「人知れず」は、人に知られずに、の意である。神がひそかに待っていたことをいう。
 二句「今や今やと」は、今か今かと、の意で、語の繰り返しにより待ちこがれる心を表す。
 三句「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞である。
 四句「神さぶるまで」は、神々しく古びるほどまで、の意である。長い時の経過をいい、待つ者が神であることにも応じる。
 結句「君をこそ待て」は、係助詞「こそ」を已然形「待て」で結ぶ係り結びである。こそと已然形の結びには逆接の含みがあり、待っていたのに通り過ぎてしまった、という恨みがこもる。前歌までの住吉の神の歌が人の問いに答えたのに対し、本歌は神の方から人を待つ構図で、次歌の「我も忘れじ」へと続く。

かみさぶ:神々しくなる。古びて年を経る
たくせん:神が人にのりうつったり夢に現れたりして意思を告げること
作者
春日明神(左注による)
出典
新古今和歌集
前の歌
睦まじと君はしらなみ瑞垣の 久しき世より斎ひ初めてき
次の歌
道遠しほども遥かに隔たれり 思ひおこせよ我も忘れじ