道遠しほども遥かに隔たれり
思ひおこせよ我も忘れじ
- 歌の意味
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道は遠い。距離もはるかに隔たっている。遠くからでも思いを寄せてくれ。私も忘れはしない。
- 鑑賞
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巻第十九 神祇歌 1859
詞書「この歌は陸奥に住みける人の、熊野へ三年詣でんと願を立てて参りて侍りけるが、いみじう苦しかりければ、今二度をいかにせんと嘆きて御前に伏したりける夜の夢に見えけるとなん」
神詠を収める一連の八首目である。道は遠く隔たりも大きいのだから、遠くから思いを寄せよ、私も忘れはしない、と告げる歌である。左注によれば、陸奥に住む人が三年続けて熊野に詣でる願を立てて参ったが、道中がひどく苦しかったので、残る二度をどうしようと嘆いて神前に伏した夜、その夢に現れたという。遠い道のりを無理に重ねずとも、心を寄せれば神は忘れないと、参詣者の苦しみを思いやっている。
この歌には詞書がなく、歌の後に左注が付く。本テキストではこの左注が次歌の番号の下に置かれているが、内容から本歌の左注にあたるため、ここでは本歌の詞書として引く。
作者名は原文に記されていない。左注から熊野の神の詠とされる。熊野は紀伊国にあり、本宮、新宮、那智の三山からなる霊場で、平安時代後期には上皇や貴族の参詣が盛んであった。
初句「道遠し」は、道が遠い、の意で、ここで切れる初句切れである。
二句「ほども遥かに」の「ほど」は距離の意である。陸奥から熊野までの隔たりをいう。
三句「隔たれり」は、隔たっている、の意で、存続の助動詞「り」で言い切る三句切れである。初句と三句で二度切れ、道の遠さを重ねて示す。
四句「思ひおこせよ」は、思いをこちらへ寄こせ、の意である。「おこす」は向こうからこちらへ送る意の動詞である。参詣という身の往来に代えて、心の往来を求めている。
結句「我も忘れじ」は、私も忘れはしない、の意で、打消意志の助動詞「じ」で結ぶ。前歌が参詣しない人を待ち続ける神を詠んだのに対し、本歌は参詣しきれない人を神の方から忘れまいと約束し、待つ神と慰める神とが並ぶ。
ほど:距離、隔たり
おこす:向こうからこちらへよこす
みちのく:陸奥。今の東北地方の太平洋側
- 作者
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熊野権現(左注による)
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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人知れず今や今やとちはやぶる 神さぶるまで君をこそ待て
- 次の歌
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思ふこと身にあまるまでなる滝の しばしよどむを何恨むらん