ありきつつ来つつ見れどもいさぎよき
人の心を我忘れめや
- 歌の意味
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あちこち歩き回り、何度もやって来ては見るけれども、清らかな人の心を、私は忘れるだろうか、いや忘れはしない。
- 鑑賞
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巻第十九 神祇歌 1863
詞書「石清水の御歌といへり」
神詠を収める一連の十二首目である。あちこち巡り歩き、何度も訪れて人を見るけれども、清らかな人の心を忘れることはないと詠む歌である。左注は石清水の神の歌と伝えるのみで、詠まれた事情は記されていない。多くの人の心を見てきた神が、清らかな心の持ち主をこそ心にとどめると示している。
この歌には詞書がなく、歌の後に左注が付く。本テキストではこの左注が次歌の番号の下に置かれているが、内容から本歌の左注にあたるため、ここでは本歌の詞書として引く。
作者名は原文に記されていない。左注により石清水の神の詠とされる。石清水八幡宮は山城国の男山に鎮座し、豊前国の宇佐八幡宮から八幡神を迎えて祀った神社である。
初句「ありきつつ」は、歩き回りながら、の意である。「ありく」はあちこち動き回る意の動詞で、反復継続の接続助詞「つつ」が付く。
二句「来つつ見れども」は、何度も来ては見るけれども、の意である。初句の「つつ」を重ね、神が絶えず人の世を見回っているさまを表す。
三句「いさぎよき」は、清らかで汚れのない、の意である。
四句「人の心を」は、人の心を、の意である。前歌の「心とを知れ」を受け、人の心を詠む歌が続く。
結句「我忘れめや」は、私が忘れるだろうか、いや忘れない、の意である。推量の助動詞「む」の已然形「め」に係助詞「や」が付いた反語である。本巻の第千八百五十九首の「我も忘れじ」と、神が人を忘れないと誓う点で対応する。次歌は宇佐の神の歌で、八幡の神の歌が二首並ぶ。
ありく:あちこち歩き回る
- 作者
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石清水八幡(左注による)
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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鏡にも影みたらしの水の面に 映るばかりの心とを知れ
- 次の歌
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西の海立つ白波の上にして 何過ぐすらん仮のこの世を