神風や五十鈴川波数知らず
すむべき御代にまたかへり来ん
- 歌の意味
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五十鈴川の波が数知れず寄せ返すように、いつまでも澄み続けるはずのこの御代に、何度でもまた帰って来よう。
- 鑑賞
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巻第十九 神祇歌 1874
詞書「返し」
伊勢の大神宮にかかわる一連の四首目で、前歌への返歌である。五十鈴川の波が数知れず返すように、澄み続けるはずの御代に何度でもまた帰って来ようと答える歌である。詞書は「返し」とあり、斎宮の女房たちから送られた前歌に応えたものである。問われなかったことを恨む女房たちに、再び訪れることを約束して慰めている。
作者の「春宮権大夫公継」は徳大寺公継である。徳大寺実定の子で、のちに左大臣となった。詠歌当時は春宮権大夫であった。
五十鈴川は伊勢の内宮の境内を流れる川で、本巻の第千八百七十一首の御裳濯川と同じ川である。
初句「神風や」は、本巻の第千八百七十一首と同じ初句で、伊勢の神域を示す。
二句「五十鈴川波」は、内宮を流れる五十鈴川の波である。寄せては返す波の縁で、結句の「かへり」を導く。
三句「数知らず」は、数え切れないほど、の意である。波の数に、帰り来る度数と御代の長さを重ねる。
四句「すむべき御代に」の「すむ」は、川波が「澄む」と、御代に「住む」とを掛ける掛詞である。末長く澄み栄える御代を言祝ぐ。
結句「またかへり来ん」の「かへり」は、波が「返る」と、自分が「帰る」とを掛ける掛詞である。前歌の「いかに答へまし」に対し、再び訪れることを約束する形で答えている。
すむ:川波が「澄む」意と、御代に「住む」意を掛ける
かへる:波が「返る」意と、自分が「帰る」意を掛ける
- 作者
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藤原公継
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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嬉しさも哀れもいかに答へまし 故郷人に問はれましかば
- 次の歌
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眺めばや神路の山に雲消えて 夕べの空を出でん月影