年を経て憂き影をのみみたらしの
変はる世もなき身をいかにせん
- 歌の意味
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年を経て、つらい姿ばかりを御手洗川の水面に映して見てきた。境遇の変わる時もないこの身を、どうしたらよいのだろう。
- 鑑賞
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巻第十九 神祇歌 1888
詞書「賀茂に参りて」
賀茂社を詠む一連の一首目である。長い年月、御手洗川に映るつらい自分の姿ばかりを見てきたが、境遇の変わる時もないこの身をどうしたらよいのかと嘆く歌である。詞書によれば、賀茂社に参ったときの歌である。神に身の不遇を訴え、救いを求める心を詠んでいる。
作者の「周防内侍」は平仲子である。周防守平棟仲の娘で、後冷泉天皇から堀河天皇までの宮廷に内侍として仕えた。
初句「年を経て」は、長い年月を過ごして、の意である。
二句「憂き影をのみ」は、つらい姿ばかりを、の意である。「影」は水面に映る自分の姿である。
三句「みたらしの」の「みたらし」は、影を「見」る意と「御手洗」とを掛ける掛詞である。本巻の第千八百六十二首の「影みたらしの」と同じ掛詞を用いる。そこでは賀茂の神が、人の心は御手洗川の水面に映るように見えていると告げたが、本歌は人の側から水面に映る憂き姿を嘆き、神と人との立場が対をなす。
四句「変はる世もなき」は、境遇の変わる時もない、の意である。「世」は時、また身の上の意である。
結句「身をいかにせん」は、この身をどうしたらよいのだろう、の意である。推量の助動詞「ん」で結び、途方に暮れる嘆きを示す。
みたらし:影を「見」る意と「御手洗」を掛ける。御手洗は参詣者が手を洗い清める所
- 作者
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平仲子
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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榊葉にその言ふかひはなけれども 神に心をかけぬ間ぞなき
- 次の歌
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月冴ゆる御手洗川に影見えて 氷に摺れる山藍の袖