春日野のおどろの道の埋れ水
末だに神のしるし顕はせ
- 歌の意味
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春日野の茨の茂る道にうもれて流れる水のようなこの身だが、せめて末にだけでも、神のご加護のしるしを現してください。
- 鑑賞
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巻第十九 神祇歌 1898
詞書は前の歌に続き「家に百首歌詠み侍りける時、神祇の心を」
春日社を詠む一連の四首目である。春日野の茨の道に埋もれた水のような身であっても、せめて末には神のしるしを現してほしいと祈る歌である。前歌と同じく、九条兼実の家の百首歌で神祇を題に詠んだ歌である。不遇の身を埋れ水にたとえ、行く末への神の加護を願っている。
本テキストでは作者名の「皇太后宮大夫俊成」が詞書の位置に記されている。ここではこれを作者名として扱い、詞書は前歌から続くものとする。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は、藤原俊成である。藤原定家の父で、『千載和歌集』を撰んだ。
「末」は子孫を指すと解され、子の定家らの将来に神の加護を願ったものと読まれている。
初句「春日野の」は、奈良の春日社のあたりに広がる野である。
二句「おどろの道の」は、茨などが乱れ茂る道の、の意である。
三句「埋れ水」は、草などに埋もれて人に知られず流れる水で、不遇に沈む作者自身をたとえる。
四句「末だに神の」は、せめて末にだけでも神の、の意である。「末」は水の流れの末と、子孫、行く末とを重ねる。副助詞「だに」は最小限の願いを示す。
結句「しるし顕はせ」は、霊験を現してください、の意で、命令形で神に願う。前歌の「頼む方なき身」の嘆きに続き、同じ百首歌の二首が並ぶ。
おどろ:茨などが乱れ茂った所
うもれみづ:草木に埋もれて人に知られず流れる水
しるし:神仏の霊験、ご利益
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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天の下三笠の山の陰ならで 頼む方なき身とは知らずや
- 次の歌
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千代までも心して吹け紅葉葉を 神もをしほの山おろしの風