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なを頼めしめぢが原のさせも草
わが世の中にあらんかぎりは

歌の意味
やはり私を頼みにせよ。しめぢが原のさせも草よ、私がこの世にある限りは。
鑑賞
巻第二十 釈教歌 1916

詞書なし
 神仏の示現と高僧の歌を集めた巻頭部の一連の一首目で、巻第二十の巻頭歌である。思い悩む衆生に向かって、私がこの世にある限りは、なおも頼みにせよと呼びかける歌である。詞書はなく、次歌の後に「この二歌は清水観音の御歌となん言ひ伝へたる」という左注がある。本テキストでは、この左注が本巻の第千九百十八首の詞書の冒頭に続けて記されている。
 観音が衆生を見捨てることはないという救いの誓いを、観音自身の言葉として示した歌で、釈教の巻の冒頭にふさわしい一首である。
 作者は原文に記されず、左注によって清水観音の御歌と言い伝えられている。清水観音は、京都東山の清水寺の本尊である十一面千手観音である。
 しめぢが原は下野国の歌枕で、現在の栃木県栃木市付近とされ、させも草(よもぎ)と結び付けて詠まれる。
 この歌は、藤原基俊の「契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり」(『千載和歌集』、『小倉百人一首』)の背景となった。『千載和歌集』の詞書によれば、基俊が子の僧光覚の維摩会講師への任用を藤原忠通に頼んだ際、忠通は「しめぢが原の」とこの歌を引いて約束したが、その年も選に漏れたため、基俊が恨んで詠んだのである。

 初句「なを頼め」は、なおも頼みにせよと命じる形で、初句切れである。仏が衆生に直接語りかける口調が、巻の冒頭から示される。
 二句「しめぢが原の」は、下野国の歌枕を置く。
 三句「させも草」は、よもぎの異名さしも草のことで、しめぢが原の景物である。思い悩む衆生をこの草によそえて呼びかけたものと解される。
 四句「わが世の中に」の「わが」は、観音自身を指す。次歌の「世の中は」と、同じ「世の中」の語で結ばれている。
 結句「あらんかぎりは」は、私がこの世にある限りは、の意で、初句の「なを頼め」に返る倒置となっている。

たのむ:頼りにする。あてにする
させもぐさ:よもぎの異名。さしも草とも。灸に用いるもぐさの原料
出典
新古今和歌集
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河社しのにおりはへ干す衣 いかに干せばか七日干ざらん
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何か思ふ何をか嘆く世の中は ただ朝顔の花の上の露