- 歌の意味
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何を思い悩むのか。何を嘆くのか。世の中は、ただ朝顔の花の上に置く露のようなものである。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1917
詞書なし
神仏の示現と高僧の歌を集めた巻頭部の一連の二首目である。思い悩み嘆く人に向かって、世の中は朝顔の花の上の露のようにはかないものだと説く歌である。詞書はなく、この歌の後に「この二歌は清水観音の御歌となん言ひ伝へたる」という左注がある。本テキストでは、この左注が次歌の詞書の冒頭に続けて記されている。
世の無常を悟らせることで、執着から生じる悩みを解こうとする歌で、前歌と同じく観音が衆生に語りかける形をとる。
作者は原文に記されず、左注によって清水観音の御歌と言い伝えられている。清水観音は、京都東山の清水寺の本尊である十一面千手観音である。
初句「何か思ふ」は、係助詞「か」を受けて連体形「思ふ」で結ぶ係り結びで、何を思い悩むのかと問いかける。
二句「何をか嘆く」も係助詞「か」を受けて連体形「嘆く」で結び、初句と対句をなす。同じ形の問いを重ねて、悩む者の心を強く揺さぶる。
三句「世の中は」は、前歌の「わが世の中に」と同じ語を受け、観音から見た人の世を示す。
四句「ただ朝顔の」は、朝に咲いて昼にはしぼむ朝顔を挙げ、はかなさの比喩とする。
結句「花の上の露」は、はかない朝顔の花の上に、さらにはかない露を置く二重の比喩で、体言止めである。世の無常を一つの景に凝縮している。
あさがほ:朝に咲いて昼にはしぼむ花。はかないものの例えとされる
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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なを頼めしめぢが原のさせも草 わが世の中にあらんかぎりは
- 次の歌
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山深く年ふる我もあるものを いづちか月の出でてゆくらん