寂寞の苔の岩戸のしづけきに
涙の雨の降らぬ日ぞなき
- 歌の意味
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ひっそりと人の声もしない、苔むした岩屋の静けさの中で、涙の雨が降らない日はない。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1923
詞書「御嶽の笙の岩屋に籠もりてよめる」
神仏の示現と高僧の歌を集めた巻頭部の一連の八首目である。物音一つしない苔むした岩屋に籠もり、涙を流さない日はないと、修行の日々の心を詠む歌である。詞書によれば、御嶽の笙の岩屋に籠もって詠んだ歌である。
深山の岩屋での孤独な修行のさなか、ありがたさとも悲しみともつかぬ涙が日ごとに流れる、求道者の心が表れている。
作者の「日蔵上人」は、平安時代中期の真言宗の僧で、道賢とも称した。吉野の金峰山で修行し、冥途をめぐって蘇生したという説話で知られる。
御嶽は吉野の金峰山を指し、笙の岩屋はその奥、大峰の山中にある岩窟で、修験の行者が籠もって修行した行場である。
「寂寞」は、『法華経』法師品の「寂寞無人声」の語によるとされる。
原文には「いはと」の「と」に「屋イ」との注記があり、異本に「いはや」とあることを示す。ここでは本文の「いはと」を採った。
初句「寂寞の」は、ひっそりとして物音のしないさまを表す漢語で、経文の語をそのまま歌に取り入れている。
二句「苔の岩戸の」は、苔むした岩屋の入口で、人の訪れのない長い籠もりを思わせる。
三句「しづけきに」は、その静けさの中で、の意で、初句の「寂寞」を和語で受け直している。
四句「涙の雨の」は、とめどなく流れる涙を雨にたとえる。静まりかえった岩屋に、雨という音のあるものを置いた対比が効いている。
結句「降らぬ日ぞなき」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「なき」で結ぶ係り結びで、涙を流さない日は一日もないと強く言い切る。
じやくまく:ひっそりとして物音のしないこと
いはと:岩屋の入口。岩屋
- 作者
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日蔵
- 出典
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新古今和歌集
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しるべある時にだにゆけ極楽の 道にまどへる世の中の人
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南無阿弥陀仏の御手にかくる糸の をはり乱れぬ心ともがな