南無阿弥陀仏の御手にかくる糸の
をはり乱れぬ心ともがな
- 歌の意味
-
南無阿弥陀仏と唱え、仏の御手に掛ける糸の端が乱れないように、命の終わりに乱れることのない心でありたいものだ。
- 鑑賞
-
巻第二十 釈教歌 1924
詞書「臨終正念ならんことを思ひてよめる」
神仏の示現と高僧の歌を集めた巻頭部の一連の九首目である。仏の御手に掛けた糸の端が乱れないように、命の終わりにも心を乱さずにいたいと願う歌である。詞書によれば、臨終正念であることを願って詠んだ歌である。
死に臨んで心を乱さず、ひたすら阿弥陀仏を念じて往生したいという、浄土を願う者の切実な祈りが表れている。
作者の「法円上人」は、伝の詳らかでない僧で、上人は徳の高い僧への敬称である。
臨終の際には、阿弥陀仏の像の手に五色の糸を掛け、その端を病者が握って念仏し、仏の来迎を願う習わしがあった。
初句「南無阿弥陀」は、念仏の名号を歌に詠み込み、二句の「仏」へと続けて「南無阿弥陀仏」とする。
二句「仏の御手に」は、阿弥陀仏の像の手を指し、臨終に五色の糸を掛ける習わしを踏まえる。
三句「かくる糸の」は、字余りである。仏と自らを結ぶ糸を示し、次の「をはり」を導く。
四句「をはり乱れぬ」の「をはり」は、糸の端の意と、命の終わりの意を掛ける掛詞である。「糸」「乱れ」は縁語で、糸が乱れないことに、臨終の心が乱れないことを重ねている。
結句「心ともがな」は、願望の終助詞「もがな」で、そういう心でありたいと願う。
りんじゆうしやうねん:死に臨んで心を乱さず、ひたすら往生を念じること
をはり:糸の端の意と、命の終わりの意を掛ける
- 作者
-
法円
- 出典
-
新古今和歌集
- 前の歌
-
寂寞の苔の岩戸のしづけきに 涙の雨の降らぬ日ぞなき
- 次の歌
-
我だにもまづ極楽にむまなれば 知るも知らぬもみな迎へてん