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我だにもまづ極楽にむまなれば
知るも知らぬもみな迎へてん

歌の意味
せめて私だけでも先に極楽に生まれたならば、知る人も知らない人も、皆を迎え取ろう。
鑑賞
巻第二十 釈教歌 1925

詞書「題しらず」
 神仏の示現と高僧の歌を集めた巻頭部の一連の十首目で、この一連の結びの歌である。せめて自分がまず極楽に生まれたなら、知る人も知らない人も皆迎え取ろうと誓う歌である。詞書は題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
 自らの往生にとどまらず、往生の後に再びこの世の人々を救い取ろうとする、大乗の慈悲の心が表れている。
 作者の「僧都源信」は、平安時代中期の天台宗の僧で、比叡山横川の恵心院に住んだことから恵心僧都と称された。『往生要集』を著して、浄土教の広まりに大きな影響を与えた。

 初句「我だにも」は、副助詞「だに」で、せめて私だけでも、と自らを限る。
 二句「まづ極楽に」の「まづ」は、人々に先立って、の意で、自らの往生を人々を救うための第一歩と位置づけている。
 三句「むまなれば」は、極楽に生まれたならば、の意で、仮定の条件を示す。
 四句「知るも知らぬも」は、知る人も知らない人も、の意で、縁の有無を問わずすべての人を含める。
 結句「みな迎へてん」の「てん」は、強意の助動詞「つ」の未然形に意志の「ん」を添えた形で、必ず皆を迎え取ろうという強い誓いを示す。前歌が自らの臨終を願うのに対し、この歌は往生の後に他を迎える側に立つ。

むまる:生まれる
むかふ:迎え取る。極楽へ導き入れる
作者
源信
出典
新古今和歌集
前の歌
南無阿弥陀仏の御手にかくる糸の をはり乱れぬ心ともがな
次の歌
濁りなき亀井の水をむすびあげて 心の塵をすすぎつるかな