わたつ海の底より来つるほどもなく
この身ながらに身をぞ極むる
- 歌の意味
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海の底から来てまだ間もないのに、この身のままで仏の身を極めることだ。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1927
詞書「法華経二十八品の歌、人々によませ侍りけるに、提婆品の心を」
霊場と法会にちなむ歌の一連の二首目である。海の底の龍宮から来て間もない龍女が、その身のままで成仏を遂げることを詠む歌である。詞書によれば、人々に『法華経』二十八品の歌を詠ませた折に、提婆品の趣意を詠んだ歌である。
女人であり龍身である者でも即座に成仏できるという、『法華経』の説く救いの広さへの感嘆が表れている。
作者の「法成寺入道前摂政太政大臣」は藤原道長である。藤原兼家の子で、娘たちを天皇の后に立てて摂政、太政大臣に至り、出家後に法成寺を建立した。
『法華経』二十八品の歌は、『法華経』の各品の趣意を一首ずつ和歌に詠むものである。提婆品(提婆達多品)には、八歳の龍女が海中の龍宮から来て、たちまち成仏したことが説かれる。
初句「わたつ海の」は、海を指す語で、龍女の住む海中の龍宮を示す。前歌の「亀井の水」から、水の連想で海へと続く配列である。
二句「底より来つる」は、龍女が海の底の龍宮から来たことをいう。
三句「ほどもなく」は、来て間もないのに、の意で、成仏の速やかさを強調する。
四句「この身ながらに」は、この身のままで、の意で、龍女の身のまま即座に成仏したことを示す。
結句「身をぞ極むる」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「極むる」で結ぶ係り結びである。四句の「身」と重ね、龍の身が仏の身を極めるという転換を際立たせる。
わたつうみ:海。海の神の意から転じた語
きはむ:極める。ここでは成仏を遂げる意
- 作者
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藤原道長
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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濁りなき亀井の水をむすびあげて 心の塵をすすぎつるかな
- 次の歌
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数ならぬ命は何か惜しからん 法説くほどを忍ぶばかりぞ