数ならぬ命は何か惜しからん
法説くほどを忍ぶばかりぞ
- 歌の意味
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物の数にも入らない命など、どうして惜しいことがあろうか。ただ法を説く間を耐え忍ぶばかりである。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1928
詞書「勧持品の心を」
霊場と法会にちなむ歌の一連の三首目である。取るに足らない命は少しも惜しくなく、ただ法を説く間の迫害を耐え忍ぶばかりだと詠む歌である。詞書によれば、『法華経』勧持品の趣意を詠んだ歌である。
身命を顧みず法を弘めようとする菩薩の決意を、自らの心として詠んでいる。
作者の「大納言斉信」は藤原斉信である。太政大臣藤原為光の子で、正二位大納言に至り、一条天皇の時代に四納言の一人と称された。
勧持品には、仏の滅後の悪世に『法華経』を弘める者は、罵られ刀杖を加えられても耐え忍ぶと誓う偈があり、その中に「我不愛身命、但惜無上道」(我身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ)の句がある。
初句「数ならぬ」は、物の数にも入らない、の意で、自らの命をへりくだって言う。
二句「命は何か」は、係助詞「か」による反語で、何が惜しかろうかと強く打ち消す。
三句「惜しからん」は、係助詞「か」を受けて連体形「ん」で結ぶ係り結びで、三句切れである。勧持品の「我身命を愛せず」の句を和らげて移している。
四句「法説くほどを」は、法を説いている間を、の意である。前歌が「この身ながらに」と身を詠むのを受けて、この歌は命を法に代える心へと進む。
結句「忍ぶばかりぞ」は、耐え忍ぶだけである、と言い切る。勧持品の、迫害を耐え忍んで法を弘めるという誓いを踏まえる。本巻の第千九百四十八首も勧持品を詠み、命を法に代える心を詠んでいる。
のり:仏の教え。仏法
しのぶ:こらえる。耐え忍ぶ
- 作者
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藤原斉信
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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わたつ海の底より来つるほどもなく この身ながらに身をぞ極むる
- 次の歌
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紫の雲の林を見わたせば 法にあふちの花咲きにけり