- 歌の意味
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紫の雲がたなびく雲林院の林を見わたすと、仏法に逢うというその名のとおり、楝の花が咲いていたことだ。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1929
詞書「五月ばかりに雲林院の菩提講にまうでてよみ侍りける」
霊場と法会にちなむ歌の一連の四首目で、この一連の結びの歌である。雲林院の林を見わたすと、仏法に逢うという名の楝の花が咲いていたと詠む歌である。詞書によれば、五月ごろに雲林院の菩提講に参詣して詠んだ歌である。
寺の名の「雲林」と花の名の「あふち」に、来迎の紫雲と仏法に逢う喜びを読み取り、法会に参り合わせた感激を表している。
作者の「肥後」は、平安時代後期の女房歌人で、京極関白藤原師実の家に仕え、京極関白家肥後とも呼ばれる。『堀河百首』の作者の一人である。
雲林院は京都の紫野にあった寺である。菩提講は、極楽往生を願って『法華経』を講説する法会で、雲林院の菩提講は『大鏡』の舞台としても知られる。
初句「紫の」は、仏の来迎に際してたなびく紫の雲を思わせ、雲林院のある紫野の地名にも通う。本巻の第千九百三十七首、第千九百四十四首にも紫の雲が詠まれる。
二句「雲の林を」は、寺の名の「雲林院」を和語に開いたもので、紫雲のたなびく林として詠む。
三句「見わたせば」は、法会の場から寺域を広く見わたすさまである。
四句「法にあふちの」の「あふち」は、仏法に「逢ふ」意と、樹木の「楝」を掛ける掛詞である。楝は初夏に薄紫の花を咲かせ、初句の「紫」と響き合う。
結句「花咲きにけり」は、完了の「ぬ」と詠嘆の「けり」で、花が咲いていたことだと気づきの感動をこめて結ぶ。五月の菩提講という時節と、楝の花期が重なっている。
あふち:仏法に「逢ふ」意と、樹木の楝を掛ける。楝はセンダンの古名で、初夏に薄紫の花を咲かせる
ぼだいかう:極楽往生を願って『法華経』を講説する法会
- 作者
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肥後
- 出典
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新古今和歌集
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