極楽へまだわが心行きつかず
羊の歩みしばしとどまれ
- 歌の意味
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極楽へは、まだ私の心が行き着いていない。死へと近づく羊の歩みよ、しばらくとどまってくれ。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1933
詞書は前の歌に続き「述懐歌の中に」
経を読み法を思う述懐の一連の四首目で、この一連の結びの歌である。まだ心が極楽に行き着いていないので、死へと近づいてゆく羊の歩みよ、しばらくとどまれと願う歌である。詞書は前歌に続き、述懐の歌の中の一首である。
日々死に近づく身を自覚しながら、往生への心の備えがまだ整わないことを嘆き、残された時を惜しむ心が表れている。
作者名は原文になく、前歌に続いて前大僧正慈円の歌である。前大僧正慈円は、関白藤原忠通の子で、九条兼実の弟にあたる天台宗の僧である。天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。
「羊の歩み」は、屠所に引かれてゆく羊の歩みのように、一歩ごとに死に近づくことをいう語で、『涅槃経』の譬えに基づく。
初句「極楽へ」は、往生の目的地を最初に示す。
二句「まだわが心」は、身ではなく心がまだ極楽に向かいきっていないことをいう。
三句「行きつかず」は、行き着いていない、の意で、三句切れである。
四句「羊の歩み」は、屠所に引かれる羊の歩みで、刻々と死に近づく身をたとえる。第千九百三十首の詞書に見える『涅槃経』の譬えであり、一連の始まりと呼応している。
結句「しばしとどまれ」は、命令形で歩みを止めてくれと呼びかける。前歌が朝の露のように消えることを願うのに対し、この歌は心が整うまで死を待ってほしいと願い、同じ作者の中で揺れる心を示している。
ひつじのあゆみ:屠所に引かれる羊の歩み。刻々と死に近づくことのたとえ
とどまる:止まる。その場にとどまる
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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とくみのきくの白露夜はおきて つとめて消えんことをしぞ思ふ
- 次の歌
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わが心なを晴れやらぬ秋霧に ほのかに見ゆる在曙の月