- 歌の意味
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紫の雲の路へと誘う琴の音に合わせて、憂き世の塵を払うように峰の松風が吹いている。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1937
詞書「摂政太政大臣家百首歌に、十楽の心をよみ侍りけるに、聖衆来迎楽」
極楽の十楽を詠む一連の一首目である。紫の雲の路へと誘う琴の音に、憂き世を払うように峰の松風が響き合うさまを詠む歌である。詞書によれば、藤原良経の家の百首歌で十楽の趣意を詠んだ際に、聖衆来迎楽を詠んだ歌である。
臨終の時に阿弥陀仏と菩薩たちが音楽を奏でて迎えに来るという来迎の喜びを、琴の音と松風の響きで描いている。
作者の「寂蓮法師」は、俗名を藤原定長といい、藤原俊成の甥で、その養子となった。出家後も歌人として活躍し、『新古今和歌集』の撰者に任じられたが、完成を見ずに没した。
十楽は、源信の『往生要集』に説かれる、極楽に往生した者が受ける十の楽しみである。聖衆来迎楽は、臨終の時に阿弥陀仏が菩薩たちを従えて迎えに来る楽しみである。
琴の音と峰の松風を重ねる趣向は、斎宮女御徽子女王の「琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをより調べそめけん」(『拾遺和歌集』)に先例がある。
初句「紫の」は、来迎の際にたなびく紫の雲を示す。本巻の第千九百二十九首の「紫の雲」と同じ語を用い、極楽からの迎えの景を開く。
二句「雲路にさそふ」は、紫雲の路へと誘う、の意で、往生する者を極楽へ導く来迎を表す。
三句「琴の音に」は、聖衆が奏でる音楽を琴の音で代表させる。
四句「憂き世をはらふ」は、松風が憂き世の塵を吹き払う意で、来迎によってこの世の迷いが払われることを重ねる。
結句「峰の松風」は、体言止めである。峰を吹く松風の音を琴の音に聞く伝統的な趣向を、来迎の音楽へと転じている。
くもぢ:雲の中の道。ここでは来迎の紫雲の道
しやうじゆ:阿弥陀仏に従う菩薩たち。聖衆と書く
- 作者
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寂蓮
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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いろにのみ染めし心のくやしきを 空しと説ける法のうれしさ
- 次の歌
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これやこの憂き世のほかの春ならん 花のとぼそのあけぼのの空