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春秋に限らぬ花に置く露は
おくれ先立つ恨みやはある

歌の意味
春秋の季節に限らず咲き続ける花に置く露には、後に残されたり先立ったりする恨みなどあろうか、ありはしない。
鑑賞
巻第二十 釈教歌 1939

詞書「快楽不退楽」
 極楽の十楽を詠む一連の三首目である。春や秋に限らず咲き続ける極楽の花に置く露には、後れたり先立ったりする恨みはないと詠む歌である。詞書は、十楽のうちの快楽不退楽を題とする。
 この世では露が置いては消え、人が後れ先立って別れを嘆くが、極楽ではその楽しみが尽きず、別れの嘆きもないことを示している。
 作者名は原文になく、前歌に続いて寂蓮法師の歌である。寂蓮法師は、俗名を藤原定長といい、藤原俊成の甥で、その養子となった。出家後も歌人として活躍し、『新古今和歌集』の撰者に任じられたが、完成を見ずに没した。
 快楽不退楽は、極楽の楽しみが尽きることも退くこともなく、永遠に続く楽しみである。
 四句の「おくれ先立つ」は、僧正遍昭の「末の露もとの雫や世の中のおくれ先立つためしなるらん」(巻第八の第七百五十七首)を踏まえる。人の死に後れ先立つことを露にたとえた遍昭の歌に対し、この歌は極楽にはその恨みがないと返している。

 初句「春秋に」は、季節の移り変わりを示し、次の「限らぬ」で、季節に左右されない極楽の常住を導く。
 二句「限らぬ花に」は、季節を限らず咲き続ける極楽の花で、散ることのない花である。前歌の「花のとぼそ」の蓮の花を受けている。
 三句「置く露は」の「置く」は、四句の「おくれ」と音を重ねて響き合わせている。
 四句「おくれ先立つ」は、後に残ることと先に逝くことで、遍昭の歌の語をそのまま用いる。
 結句「恨みやはある」は、係助詞「やは」による反語で、恨みなどありはしないと強く打ち消す。「やは」を受けて連体形「ある」で結ぶ係り結びである。

おくる:後に残される。死に後れる
さきだつ:先に死ぬ
作者
寂蓮
出典
新古今和歌集
前の歌
これやこの憂き世のほかの春ならん 花のとぼそのあけぼのの空
次の歌
たちかへり苦しき海に置く網も ふかきえにこそ心ひくらめ