朝日さす峰のつづきはめぐめども
まだ霜深し谷の陰草
- 歌の意味
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朝日の差す峰続きの草木は芽ぐんでいるが、谷の日陰の草には、まだ霜が深く降りている。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1946
詞書「先照高山」
経文の句を題とする諸家の歌の一連の二首目である。朝日の差す峰続きは芽ぐんでいるのに、谷陰の草にはまだ霜が深いと詠む歌である。詞書によれば、「先照高山」(先づ高山を照らす)という経文の句の趣意を詠んだ歌である。
仏の教えは、日の光のようにまず高い峰を照らし、谷の底にはなかなか届かないという教えの次第を、早春の山の景に移している。仏の恵みがまだ届かない身を、谷の陰草に重ねる心も読み取れる。
作者名は原文になく、前歌に続いて崇徳院の歌である。崇徳院は、第七十五代の天皇で、鳥羽天皇の第一皇子である。保元の乱に敗れて讃岐に流され、その地で没した。『詞花和歌集』の撰進を命じた。
「先照高山」は、日が昇るとまず高い山を照らし、次に谷や平地を照らすように、仏がまず優れた資質をもつ菩薩のために教えを説き、次第に他の者に及ぼすことを譬えた語で、『華厳経』に基づく。
初句「朝日さす」は、昇ったばかりの日の光で、仏の教えのたとえである。
二句「峰のつづきは」は、高く連なる峰々で、経文の「高山」を和らげて移し、教えをまず受ける者を示す。
三句「めぐめども」の「めぐむ」は、草木が「芽ぐむ」意と、仏の光に「恵む」意を掛ける掛詞である。逆接の「ども」で、下の句の谷の景へと転じる。
四句「まだ霜深し」は、谷にはまだ光が届かず、霜が深いさまで、四句切れである。
結句「谷の陰草」は、谷の日陰に生える草で、体言止めである。峰と谷、光と霜の上下の対比によって、教えが及ぶ次第を示している。
めぐむ:草木が「芽ぐむ」意と、仏の光に「恵む」意を掛ける
かげぐさ:日陰に生える草
- 作者
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崇徳院
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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をしなべて憂き身はさこそなるみ潟 満ち干る潮の変はるのみかは
- 次の歌
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底清く心の水を澄まさずは いかがさとりの蓮をも見ん