- 歌の意味
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吹く風に花橘が香っているのだろうか。昔が思い出される今日の庭であることよ。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1953
詞書「栴檀香風、悦可衆心」
寂然らの法文百首の一連の三首目である。吹く風に花橘が香っているのか、昔が偲ばれる今日の庭だと詠む歌である。詞書によれば、「栴檀の香風、衆の心を悦可す」という句の趣意を詠んだ歌である。
釈迦が法を説いたとき栴檀の香る風が人々の心を喜ばせたという経文の場面を、花橘の香りに移し、法会の庭に釈迦在世の昔を偲ぶ心を表している。
作者名は原文になく、前歌に続いて寂然法師の歌である。寂然法師は、俗名を藤原頼業といい、藤原為忠の子である。兄の寂念、寂超とともに大原に隠棲し、大原三寂と呼ばれた。西行と親しく交わった。
「栴檀香風、悦可衆心」は、『法華経』序品の偈に見える句で、釈迦が法を説こうとするとき、栴檀の香りを含んだ風が吹いて人々の心を喜ばせたことをいう。
下の句は、『古今和歌集』のよみ人しらずの「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」を本歌とし、花橘の香りが昔を思い出させるという趣向を用いている。
初句「吹く風に」は、経文の「香風」を受け、香りを運ぶ風を示す。
二句「花橘や」は、経文の「栴檀」を、和歌で昔を偲ばせる香りとされる花橘に置き換えている。係助詞「や」による疑問である。
三句「にほふらん」は、「や」を受けて連体形「らん」で結ぶ係り結びで、香っているのだろうかと推量する。三句切れである。
四句「昔おぼゆる」は、昔が思い出される、の意で、本歌の「昔の人」を受けつつ、ここでは釈迦在世の昔を偲ぶ。
結句「今日の庭かな」は、法会の行われる今日の庭で、詠嘆の「かな」で結ぶ。経文の「悦可衆心」を、昔を偲ぶ喜びとして表している。
はなたちばな:橘の花。その香りは昔を思い出させるものとして詠まれる
おぼゆ:自然に思い出される
せんだん:香木の一種。白檀。栴檀と書く
- 作者
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寂然
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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雲晴れて空しき空にすみながら 憂き世の中をめぐる月かな
- 次の歌
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闇深き木のもとごとに契りおきて 朝たつ霧のあとの露けさ