闇深き木のもとごとに契りおきて
朝たつ霧のあとの露けさ
- 歌の意味
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闇の深い木の下ごとに約束を残して、朝に立ちのぼる霧のように去っていった、その後の露けさよ。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1954
詞書「作是教已、復至他国」
寂然らの法文百首の一連の四首目である。闇深い木の下ごとに約束を残して、朝霧が立つように去った後の露けさを詠む歌である。詞書によれば、「是の教へを作し已りて、復た他国に至る」という句の趣意を詠んだ歌である。
教えを残してこの世を去った仏を慕い、残された者が涙にくれるさまを、霧の去った後の露に託して表している。
作者名は原文になく、前歌に続いて寂然法師の歌である。寂然法師は、俗名を藤原頼業といい、藤原為忠の子である。兄の寂念、寂超とともに大原に隠棲し、大原三寂と呼ばれた。西行と親しく交わった。
「作是教已、復至他国」は、『法華経』如来寿量品の良医の譬えに見える句である。毒を飲んだ子らのために良薬を残した医師が、他国に行って、父は死んだと告げさせ、子らを目覚めさせたという話で、仏が入滅の姿を示すのも衆生を導く方便であると説く。
初句「闇深き」は、仏のいない後の世の闇、また迷いの深さを示す。
二句「木のもとごとに」は、木の下ごとに、の意で、樹下で悟り、樹下で入滅した釈迦の姿を思わせる。
三句「契りおきて」は、約束を残して、の意で、経文の「是の教へを作し已りて」を移し、字余りである。「置き」は露の縁語となる。
四句「朝たつ霧の」の「たつ」は、霧が「立つ」意と、旅に「発つ」意を掛ける掛詞で、経文の「復た他国に至る」を移している。
結句「あとの露けさ」は、霧が去った後に残る露で、残された者の涙を表す体言止めである。第千九百三十二首が朝に消える露を願うのに対し、この歌の露は去った仏を慕う涙として残る。
ちぎる:約束する
たつ:霧が「立つ」意と、旅に「発つ」意を掛ける
つゆけさ:露に濡れているさま。涙がちであること
- 作者
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寂然
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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吹く風に花橘やにほふらん 昔おぼゆる今日の庭かな
- 次の歌
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今日過ぎぬ命もしかと驚かす 入相の鐘の声ぞ悲しき