- 歌の意味
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今日も過ぎてしまった、命もそのように減ってゆくのだと気づかせる、夕暮れの鐘の音が悲しい。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1955
詞書「此日已過、命即衰滅」
寂然らの法文百首の一連の五首目である。今日も過ぎた、命もそのように減ってゆくのだと気づかせる入相の鐘の音が悲しいと詠む歌である。詞書によれば、「此の日已に過ぎぬ、命即ち衰滅す」という句の趣意を詠んだ歌である。
一日の終わりを告げる鐘の音に、日ごとに命が尽きてゆくことを悟らされ、無常をしみじみと嘆く心が表れている。
作者名は原文になく、前歌に続いて寂然法師の歌である。寂然法師は、俗名を藤原頼業といい、藤原為忠の子である。兄の寂念、寂超とともに大原に隠棲し、大原三寂と呼ばれた。西行と親しく交わった。
入相の鐘は、日没の頃に寺でつく鐘で、一日の終わりを告げるとともに、無常を思わせるものとして詠まれる。
初句「今日過ぎぬ」は、完了の「ぬ」で、今日も過ぎてしまったと言い切る。経文の「此の日已に過ぎぬ」をそのまま和らげて移し、初句切れである。
二句「命もしかと」は、命もそのように、の意で、経文の「命即ち衰滅す」を受け、一日の過ぎることと命の減ることを重ねる。
三句「驚かす」は、はっと気づかせる、の意で、鐘の音が無常を悟らせることをいう。
四句「入相の鐘の」は、日没の鐘で、一日の終わりと命の終わりを重ねている。
結句「声ぞ悲しき」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「悲しき」で結ぶ係り結びである。前歌の朝の霧から、この歌の夕暮れの鐘へと時が移る配列である。
おどろかす:はっと気づかせる。目を覚まさせる
いりあひのかね:日没の頃に寺でつく鐘
- 作者
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寂然
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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闇深き木のもとごとに契りおきて 朝たつ霧のあとの露けさ
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草深き狩場の小野を立ち出でて 友まどはせる鹿ぞ鳴くなる