背かずはいづれの世にかめぐり逢ひて
思ひけりとも人に知られん
- 歌の意味
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世を背いて出家しなければ、いったいどの世でめぐり逢って、私があなたを思っていたのだと知ってもらえようか。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1957
詞書「棄恩入無為」
寂然らの法文百首の一連の七首目である。世を背いて出家しなければ、どの世でめぐり逢って、思っていたと知ってもらえようかと詠む歌である。詞書によれば、「恩を棄てて無為に入る」という句の趣意を詠んだ歌である。
親の恩愛を断って出家することは、一見恩に背くようでありながら、悟りを得て来世で親を救うことこそが真の報恩になるという教えを、恩ある人への思いとして詠んでいる。
作者の「寂然法師」は、俗名を藤原頼業といい、藤原為忠の子である。兄の寂念、寂超とともに大原に隠棲し、大原三寂と呼ばれた。西行と親しく交わった。
「棄恩入無為」は、出家の際に唱える偈の「流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者」の一句で、恩愛を捨てて仏道に入ることこそが真実の報恩であると説く。
初句「背かずは」は、世を背かないならば、の意で、打消しの「ず」に「は」が付いた仮定の条件である。「背く」は出家することをいう。
二句「いづれの世にか」は、係助詞「か」による反語で、どの世で、と問いかけて打ち消す。
三句「めぐり逢ひて」は、来世で再び出会うことで、字余りである。
四句「思ひけりとも」は、私があなたを思っていたのだとも、の意で、出家の真意を示す。
結句「人に知られん」は、「か」を受けて連体形「ん」で結ぶ係り結びで、知ってもらえようか、いや知ってもらえない、の意である。恩ある人を捨てるようでありながら、実はその人を思うゆえの出家であるという、逆説の心を示している。
そむく:世を捨てる。出家する
むゐ:因縁によって生じたり滅したりすることのない、悟りの境地。無為と書く
- 作者
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寂然
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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草深き狩場の小野を立ち出でて 友まどはせる鹿ぞ鳴くなる
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あひ見ても峰に別るる白雲の かかるこの世のいとはしきかな