あひ見ても峰に別るる白雲の
かかるこの世のいとはしきかな
- 歌の意味
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寄り合っても峰で別れてゆく白雲が峰にかかるように、このような別れのあるこの世がいとわしいことよ。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1958
詞書「合会有別離」
寂然らの法文百首の一連の八首目である。寄り合ってもやがて峰で別れる白雲のように、会えば必ず別れのあるこの世がいとわしいと詠む歌である。詞書によれば、「合会すれば別離有り」という句の趣意を詠んだ歌である。
出会いが必ず別れで終わるという無常の理を、峰に寄っては離れてゆく白雲の姿に託し、この世を厭い離れたいと願う心を表している。
作者の「源季広」は、平安時代後期の歌人で、伝は詳らかでない。
「合会有別離」は、出会ったものには必ず別れがあるという意の句で、会者定離の教えを示す。
初句「あひ見ても」は、出会っても、の意で、経文の「合会」を移している。
二句「峰に別るる」は、峰で別れてゆく、の意で、経文の「別離」を雲の姿に移している。
三句「白雲の」は、峰に寄ってはまた離れてゆく白雲で、出会いと別れを繰り返す人の世のたとえである。
四句「かかるこの世の」の「かかる」は、白雲が峰に「かかる」意と、このような、の意の「かかる」を掛ける掛詞である。上の句の白雲の景が、この掛詞を介してこの世の嘆きへと転じる。
結句「いとはしきかな」は、詠嘆の「かな」で、この世をいとわしく思う心を結ぶ。本巻の第千九百五十四首が仏との別れを露けさで嘆いたのに続き、この歌は別れのある世そのものを厭う。
かかる:白雲が峰に「掛かる」意と、このような、の意の「かかる」を掛ける
あひみる:会う。対面する
- 作者
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源季広
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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背かずはいづれの世にかめぐり逢ひて 思ひけりとも人に知られん
- 次の歌
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音に聞く君がりいつかいきの松 まつらんものを心づくしに